偉大なる表現者

Blank Generation

Blank Generation

今月のロッキンオンジャパンの読者投稿のページに
ある男の子がBUNGEEについての文章を書いてくれました。


僕はその文章を読んで甚く感動しました。


皆さんも是非読んでみてください。


彼の書いた文章は、まるで僕が昔書いた日記を読んでいるかのように感じられました。
彼はもしかして、かつての僕なのかもしれない。
だけど、かつての僕には彼のように、自分の気持をうまく文章にすることなんて
できなかった。
だから僕は歌うしかなかった。
歌うことが出来ないものは、叫ぶしかなかった。
時々それが、淋しくて仕方なくて気がおかしくなりそうだった。


どうして僕が歌うのか、その理由がわからなくなって
気が病んでしまうこともあった。
「CRUITHNE」というアルバムはその頃の僕の記録だ。
どう言い訳や理屈をつけたって、生きる事から逃げる事の出来ない自分。
「生」が成長していくのと同じように、日に日に成長してゆく「死」への恐怖。
いつでも八方塞がりだった。
僕が引き出した答えは
「今ここにあるものを、一つ一つ受け入れていくしかない」という事だった。
その中には、到底受け入れられるはずも無い事もあった。
でも仕方が無かった。
生きていくために、僕は一つ一つ飲み込んでいった。
納得できない現実となんとか折り合いをつけていった。
その結果、僕は僕の中にあるとても大切な「青い心」を失うことになった。


でもそれで良かったと僕は今思う。


それを失っても尚、僕はまだ飢えているからだ。
日々が恋しい。
その理由はわからないけど、そう思えるようになった。
この際、理由はさほど重要なものじゃないんだ。


彼もいつか、そう思う日がくるのだろうか。


それとも、僕とはまったく別の答えを導き出すんだろうか。



そのページに載っている彼の文章は、そんな彼のとても偉大な記録だ。
僕は彼のメッセージをしっかりと受け止めたよ。
とても嬉しい。



そして僕は僕の信じる道を、信じる方向を、只ひたすらに進んでいこうと思うのでした。